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再生エネルギーと電気自動車と蓄電池 ニュース記事に関連したブログ

2012/05/01 10:00

 

 原子力を止めることばかりに熱心な一方で、太陽光発電開発に国民の心を動かす「積極的」な政府主導が無いことが誠に不思議だったが、ようやく蓄電池と太陽光の話が紙上に出てきた。
また、今年一月には「蓄電池戦略プロジェクトチームが」が経産省に設置されたことも知った。
誠に同慶の至りである。

「大型蓄電池開発を支援 政府・与党が7月方針策定へ 来年度予算化」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/econpolicy/559270/
「大型蓄電池、政府が本腰 市場拡大「低価格」カギ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/559287/
「再生エネ買い取り「太陽光42円」 普及促進に軸足 設備コスト負担に課題」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/558574/

もっとも太陽光は目の前の原子力発電の代替エネルギーとしては時間もかみ合っていないし、温暖化ガスの点からは代替ではない。太陽光発電の本質は化石燃料(メタンハイドレートも含む)の代替である。だから、現下の問題を契機に、遠い将来を見据えたエネルギー開発として取り組むことが我が国にとって絶対に必要である。

昨年11月に書いた「太陽光発電システム実用化の施策」を再度、提唱したい:

施策は二つの事項を同時に行うことから成る。
(1)電気自動車を急速に大普及させる施策と大キャンペーンを実施する。(目標はいづれ全部を電気自動車に移行することである。)
(2)電気自動車用充電価格を再生エネルギー買取価格と合わせる(或いはある関係で連動させる)

この施策の大目標は蓄電池の技術開発を強く推進する契機と、それを援助することにある。それによって太陽光発電システムの発達を促進する。

その意味を以下に説明する。諸事が関連し合うのでよくご理解願いたい:

 

1.蓄電能力は、太陽光発電が実用的電源として電力系統にある程度の比率を占めるためには絶対不可欠な条件である。蓄電能力は太陽光発電実用化の死命を制する。実質的には、蓄電池の技術・価格革新である。

2.電気自動車の技術的及び営業的成否は、蓄電池の技術開発に100%依存している(現状では、蓄電池価格は電気自動車価格の恐らく過半を占める)。従って、上記施策(1)の政府による電気自動車の普及運動で、蓄電池の開発にドライブが掛かる。電力用と自動車用では多少の技術的違いはあっても、大きい技術の流れは同一であろう。
蓄電池の技術・価格低減の障害は太陽光発電素子のそれより遙かに高く克服が容易ではないから、目の前の市場をかけた熾烈な競争が必要である。
政府による開発費援助の財源を得る事も必要でありそれについては後述第6項参照。

3.上記施策の(2)は、太陽光発電と電気自動車の電力需要が価格を通して連結することで、我が国の「将来エネルギー」の開発と世界に市場を持てる技術の開発に国民は参画し協力していることを、政府は明確にしなければ成らない。
価格連動により太陽光発電の電力は原則、全てが電気自動車の蓄電池に先ず納まることになる(経理上そうなる)。発展途中の量的ミスマッチについては後述第6項参照。
明確な販路と販売価格が見えることで、太陽光発電は高い買取価格でも胡散臭さはなくなり、フェアなビジネスとして促進されるであろう。
この価格政策は、家庭での充電にも、充電スタンドで販売価格にも適用する。
(その代わり、電気自動車を持つ家庭の太陽光発電は全量買取とする。充電スタンド会社は、太陽光発電会社を経営しても良いし、電力との卸価格(太陽光発電量だけでは不足する間)を交渉しても、また火力による自家発をしても良い。ただし、販売価格との差は課税対象として管理される。第6項の開発費となる)
幸い、42円/kWでも、電気自動車の燃費はガソリンより安いか、少なくとも高くはないはずである。国民の電気自動車への投資は、安くなる燃費で回収するのではなく、将来のエネルギー問題解決への参画という心意気で理解されるべきである。その為にも政府による大方針の説明が必要である。
ハイブリッドが普及することと、その宣伝に、安い電力利用に依る低燃費で購入価格がオフセットされることを標榜する販売政策は、電気自動車の普及にブレーキをかけこの政策に対立する危惧がある。だから、政府は上記の政策の発表を急がなければならない。)

4.電気自動車への充電価格が高く設定される事による自動車産業への不利益は、政府による電気自動車の大々的普及促進キャンペーンによる販売応援効果を以て、補完されると見なすべきである。思い切った減税政策もその中に含まれるべきであろう。国民だけでなく自動車産業界もこの施策に参画する心意気を持つべきである。

5.また、ガソリン車が電気自動車に移行することで、自動車の化石燃料の消費は半減する。従って、電気自動車のために火力発電所を建てることを躊躇する必要はない。
更に、余った半分の化石燃料を在来の電力需要に当てても、温暖化ガスを増やさずに暫くは原子力発電停止(休止?)の不足分を補える。日本経済への影響と国際的温暖化ガス削減のコミットメントを考えるとこれは重要である。

(自家用車が全部電気自動車に替わると必要な発電量は800万KW x 365 x 24hr(KWH)。100万KW発電所10基。余った半分の石油であと同じ数だけの発電所をまかなえる。)

6.電気自動車の普及と太陽光発電量の増加と、蓄電池の経済向上とはその速度において、ミスマッチを最初から生ずるであろう。これについては心配はいらない。
先ず、前述第3項の充電価格政策は維持する。予想されることは、電気自動車の普及が先行する。従って、充電価格で販売される電力量は再生エネルギー発電量を上回るであろう。不足分は夜間火力電力による充電促進(何らかのインセンティブ政策が必要である)や
火力の増設をする。火力の発電価格と電気自動車充電価格の差は、課税対象として管理する。この税金は蓄電池の(場合により太陽光発電素子やスマートグリッドの)開発促進の費用に充てる。第3項の充電スタンドの課税についても同じ。
太陽光発電買取は一般家庭用電力料や産業用電力料金への負担にならない。詰まるところ、燃費低減を期待しない
電気自動車購入の初期投資がカバーしていることになる。だから、国民の参加要請と納得が必要なのである。
太陽光発電が普及して価格がさがり、かつ、発電量が電気自動車消費電力
を上回り、蓄電池が安くなって、一般電力への利用が容易になって用途が増え、更に価格が下がり、発電量が増えと、正のスパイラルが予想される。再生エネルギー買取価格が下がれば勿論充電価格も下がり開発援助額も減る。正解である。

7.小規模の太陽光発電、電気自動車の充電とその蓄電能力の家庭用電力需要への利用など、すでに市場で始まっている再生エネルギーと電気自動車の関与する電力需給の形態は、スマートグリッドの技術が不可欠となる。先の電気自動車充電価格の管理に、この技術の初歩的な適用が必要であり、この技術の発展を促進する。 (ついでながら、スマートグリッド、小規模再生エネルギー発電などを含む多様化電源と、発電送電配電の経営分離は整合性があるのだろうか。これは、単なるつぶやき。ここでは別の問題である。)

8.原子力は今のところ人為的問題で当てにならない状態だから、太陽光発電をバックアップするものは火力発電であると考えておく。太陽光発電の発電量と時間の不確定さを100%補完できる蓄電池容量が実用的に導入できるまでの間は(或いは経済性から考えて100%補完は永久に不可能か)、その補完されない部分は、火力発電でバックアップが必要である。即ち太陽光に期待されていて不確定さが消せない部分(発電電力か発電電力量か筆者は今すぐ明快に言えない。後で考えておく)の100%容量に相当する火力発電設備が予備として必要である。(今日太陽が出ても雨でも、その日の電力供給は変えられないからだ! いつ休むかも知れないアルバイトの為に同数の正社員の待機が必要なのである。太陽光発電の蓄電能力が無い部分はそんな物である。)
だから、太陽光発電促進のために、遊休火力はある程度覚悟しなければならない。幸いに、火力発電の設備償却費は、発電の燃料費よりかなり低いから、使わなければ遊ばせておけばよい。火力設備があっても使わないときは温暖化ガスは出さない。もし太陽光発電価格が十分に下がれば、バックアップの設備償却費をカバーできるであろう。
上記第5項で言った火力発電は、同時に発展途上の太陽光発電のバックアップにもなる。電気自動車による化石燃料消費半減は、技術の過渡期のエネルギー政策に自由度を与えてくれる。

9.ところで、個人独裁国でも一党独裁国でもない自由経済の日本で充電価格の指定は独禁法に抵触しないか。買い取り価格が法律で決められるくらいだから、特別な販売価格を統制するくらいは法律で可能であろうと考えておく。価格統制とまで言われないよう、企業努力のインセンティブを与えながら実質を取る税制や他の方策は役所が考えて貰いたい。
電気自動車を持つ家庭の
太陽光自家発電量を全量買上にすると、そのユーザーは電気自動車燃料費はその分が只になると計算できる。電気自動車を持たない家庭は、自家消費電力量を引いた余剰分だけの買取とする。


あるプロジェクト(或いは施策)を実施しようとするとき、先ずその障害となる事項を考える人間と、それを成功させるためにはどうすればいいかと考える人間とがいる。どうか後者の方式で考えて貰いたい。そうすれば、この提案よりもっと良い考えも出てくるであろう。

 

上記の舌足らずの部分は、2011年11月8日付けの「太陽光発電システム実用化の施策」もご一読願いたく。


 

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既設原発の再稼働は当然 ニュース記事に関連したブログ

2011/11/12 00:02

 

 経団連の原発再稼働要請は当然のことだと思う。

 原発の短期的問題は福島事故の再発の懸念ではない。今回の経験の後ではもう同じ轍は踏まないだろう。さっさと安全規制を改正して再稼働すればいい。ストレステストだの脱原発だのと言って既設設備の稼働を引き延ばすことによる経済損失の方が問題である。原発の再稼働は、資産の有効利用であり、計画停電の回避、震災復興、景気の改善への寄与、温室ガス排出の低減と、利点は多い。景気の改善は自然エネルギー開発の促進にも影響するだろうから、脱原発派にとっても悪いことではない。稼働再開を急ぎ、その価値を使い切るべきである。

 

 原発の長期的問題は原子炉の新設であるが、安全面についていえば電源の全喪失にも対処した設計の炉もあり、安全性は如何様にも確保できる。むしろ、問題は放射性廃棄物の処分ではないかと個人的には思う。廃棄物処分について、誰か責任を持って、問題は近い将来解決できると言えるところまで日本の技術と立地の現状は来ているのだろうか?

(今は荒唐無稽な妄想だが、ロケットで太陽に打ち込むのがいいと個人的には思っている。何しろ太陽は原子核反応炉の本家本元だからだ。が、打ち上げ失敗で途中から地球に舞い戻られては大変だ。)

 

 原発後進国に原子炉を売る場合も、持ち込む前にその国の放射性廃棄物永久処分手段の確保をするようにまず指導するのが誠実なやり方であろうかと思う。その実現の確実な目処が立って初めて、原子炉の建設に着手するのがいい。そんなことをしていては商売に遅れるという声が出そうであるが、それは別問題としてして工夫すべきものだろう。

 

 我が国で原子炉新設再開までには、まだ、時間が掛かるだろう。その間に、諸問題について、感情論でない、また、ごまかしのない議論が必要である。もし、将来本当に原子力を使わないなら、目の色を変えて、いかに経済的犠牲を払ってでも自然エネルギーを実用化しなければならないことは理解して置かなければならない。どちらの道も不可能とは言っていない。覚悟して行う選択の問題である。

 どうしても選択できないのは、エネルギーを使わないことと大気を温暖化ガスで満たすことである。

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太陽光発電システム実用化への施策 ニュース記事に関連したブログ

2011/11/08 13:13

 

 前回の、と言ってもかなり前であるが、ブログでエネルギー環境会議を先取りしようかなどと口幅ったいことを言ったが、筆者の浅学ではエネルギー問題全般を見渡す能力はない。そこで、これまで太陽光発電のことを書きながら気づいたことを基に、これを電力エネルギーの主役に発展させる施策について一つの提案をしよう。実現可能な重要な提案だと思っている。

既に太陽光発電素子も、高性能の蓄電池も実用域に入っている。問題は価格だけである。従って、「太陽光発電システム」実用化と拡大の施策とは、急速な価格低減を促進する為の支援策である。

初めにここで使う用語「太陽光発電システム」の意味を定義しておく。それは太陽光発電を行う装置と発電した電気を貯める「十分な容量」の蓄電池の組合せであって、計画された電力供給の要請を、天候や昼夜に拘わらず、経済的に果たすことが出来るものを言う。簡単に言うと、火力や原子力、或いは一歩譲って水力、と同等の供給能力と経済性とを持つ実用的な太陽光電源である。供給能力を可能にするのは蓄電能力であり、経済性を実現するのは太陽光発電素子と蓄電地の価格低減である。

もし上記の要請に足るだけの十分な蓄電池を備えていない太陽光発電は全く当てにできない発電装置であり、電力供給系統の厄介なお荷物以外の何者でもなく、況や原子力発電の代替などと言うのは噴飯ものである。それはこれまでのブログで何度も説明した。そのようなものは「太陽光発電システム」とは呼ばない。結局、太陽光発電実用化の鍵は蓄電池であり、その有り無しで話は天地逆転する。

価格について一つ断っておく。 これまで、太陽光発電実用化には、太陽光発電素子の価格を一桁(1/10)、蓄電池の価格を二桁(1/100)位下げる必要があると書いてきた。蓄電池については筆者の間違いである。制御装置を含む小型の家庭用蓄電装置一式の価格を元に考えたが、最近の電気自動で使われている蓄電池の価格はそれより一桁くらい低い。従って一桁下げる必要があると言い換えて良いが、寿命がはっきりしないことと、日照の不確定さに対抗する蓄電池の所要量が不確定なので、一桁半(だいだい1/30)位下げる必要があると言い換えておく。即ち実用化のためには、太陽光発電素子は一桁、蓄電池は一桁半位価格を下げることが目標となる。これは、両方とも、IT機器やある種の家電の様なめざましい価格低減を起こすことが必要であり、かつ、蓄電池の方がそのハードルが高いという定性的な発言ととって貰いたい。施策の概念を作る段階ではこれで十分であろう。施策の具体的立案に当たってはタスクフォースなり委員会なりシンクタンクなりで詳細に算出すればよい。

もう一つ断っておくことがある。太陽光発電システムの成否と原子力発電の可否とは直接的には関係がない。原子力発電は成功した太陽光発電システムと、供給能力と経済性と脱温暖化ガスにおいて同等の性能を有し、互いに共存できるものである。太陽光発電即ち脱温暖化ガスを意味するが、脱原子力はかならずしも意味しない。但し両者は代替し合うことも可能であるから、太陽光発電システムが規模を拡大すれば、他方は縮小することができる。選択の問題である。屁理屈を言ってるつもりはない。

さて、長い前置きはこのくらいして、短い本題に入ろう。主題は、太陽光素子と蓄電池の価格を急速に下げて「太陽光発電システム」を実現する施策である。

(1) 自由経済の世界では価格低減は、技術開発競争、販売拡張による量産、製造技術革新等による競争の結果である。競争の究極の対象は太陽光発電素子と蓄電池であるが、価格競争を起こさせる触媒となる魅力的な大衆向け製品が必要である。それが、前々から言っている「電気自動車」である。何故なら、電気自動車成功の鍵は、性能、価格、販売などあらゆる面から見て「蓄電池」の高性能化と価格低減にあることは明らかである。従って電気自動車ブームを起こせば、必然的に蓄電池の価格低減競争、性能向上競争になる(現下の電気自動車の価格の過半は蓄電池の価格だと推測される)。ブームの取っかかりは政府が主導しよう。補助金でも、減税でも、また、国民の自然エネルギー開発に掛ける心意気を引き出す首相の大演説でもいい(米国大統領の様に格好よくなくても、しみじみとした説得調で我慢しよう)。電気自動車への在来エンジン自動車からの乗り換えブームを引き起こすことである。

(2) 同時に、この電気自動車ブームを蓄電池のみならず太陽光発電素子の価格低減促進に結びつけなければならない。その鍵となる施策がある。
電気自動車の家庭用充電装置及び「充電スタンド」(「電気スタンド」と呼ぶ方がユーモラスで楽しいのだが世間の用語に合わせよう)での充電電力料金を、「再生エネルギー固定価格買取制度」の太陽光電力買取価格に合わせることを法律で定めること事である。

個別の電力需要用途に合わせて充電器毎に電力料金を計算する位はスマートグリッドの初歩の初歩であって技術的には何でも無かろう。また、それが40円/KWHでもガソリンより走行距離当たりで安いことは以前に説明した通りであるから消費者も文句を言う筋合いはない。電気自動車の価格が高い分を燃費で取り戻す効果が薄れるが、電気自動車購入は子々孫々のためのエネルギー問題解決と温暖化ガス排出削減に参加する国民の心意気であるから誰も文句は言わないだろう。それに、真新しい電気自動車はそれだけで嬉しいではないか。しかも、しばらく辛抱すれば、近い未来に電気自動車価格も充電価格も下がってくる。

この料金設定は、家庭用太陽光発電で出た電力を先ず自家用車の蓄電池充電に優先的に振り向けることを意味する。また充電スタンドにおいては、初期のまだ十分に蓄電装置を備えない太陽光発電所から日照に依って不確定に電力系統に流し込まれる電力(家庭用太陽光電力の余剰分も含む)を優先的に充電スタンドに振り向け自動車蓄電池に注入する事を意味する。この「意味する」とは、高く買った太陽光電力を結果的に電気自動車の充電用に優先的に卸すことを言う。家計上と電力会社の経理上でそうなるからである。(需給が同時刻、同量でなくとも、電気がどう流れるかも考える必要はない。系統を流れる電気に区別はない)。家庭では、例え夜間充電でも、我が家の屋根の太陽光発電で自家用車を動かしていることになり良い気分が味わえる。

 

(上記取消線に関連して注記(2011/12/3改訂):

電気自動車を持つ家庭の自家太陽光発電は発電の全量を買取り(料金上の清算)。持たない家庭は、消費電力を越える余剰分だけを買い取る方式にする。また、発電業からの太陽光発電電力の買取価格は、充電スタンドの市場競争原理を何らかの形で或る程度反映させることがビジネス健全性の為に必要であろう)


もし、太陽光発電の規模拡大よりも電気自動車の規模拡大が早い場合(その可能性が高い)は、太陽光発電分は完売する。このような状態なら、太陽光発電買取による一般の電力料金への上乗せは無くなる。太陽光発電不足分は在来発電(火力、原子力)の安い電気を高く売る事になる。その利得から太陽光電力取扱経費を引いた残りの余剰金を政府が管理して太陽光発電素子と蓄電池の開発促進の目的に環する(無駄なく賢くかつ利権の食い物にならないように頼みますよ)。その結果太陽光と蓄電池の技術開発と価格低減にドライブが掛かる。これが最大の狙いである。
その結果太陽光発電原価が下がりそれに連動する充電電力料金が下がれば、余剰金も減り開発への環も減る。太陽光発電の電力だけで自動車エネルギー需要を供給出来るほど太陽光発電の規模が大きくなったとき(又は太陽光発電価格が在来発電と同じまで下がったときにも)この余剰金はゼロになる。必要性に対応した正しい方向の動きである。

この段階までくればで、蓄電池と太陽光発電素子の価格はかなり低減しているはずである。従って、十分な蓄電能力を持つ「太陽光発電システム」が在来電源と並んで徐々に規模を拡大するだろう。生産の拡大と価格の低減と技術の進展とが発展的ループを描くことが期待される。

 

上述の(1)、(2)の提言を要約すると、太陽光発電が十分な蓄電能力を備えない間は、電気自動車の蓄電池がその受け皿となり、大衆の電気自動車購入(投資)によって、製造企業による太陽光素子と蓄電池の量産と価格低減とをもたらそうという構造であるといえる。

(3) この充電価格政策の特に初期をもう少し詳細に考えて見よう。充電価格は、原則、太陽光発電買取価格であるが、自動車蓄電池の充電は出来るだけ発電容量に空きのある夜間などの時間帯に行わせるように、売値を時間帯によって多少変える価格インセンティブを与えておく。こうすれば、実際の電気の流れは、主に、夜間電力などの余剰発電能力から供給することになり系統運用上都合が良い。

電気自動車拡大が急テンポのために既設発電所からの夜間供給能力を超えて必要とする分は、新鋭の火力発電所を増設して供給すればよい。火力発電所を増やしても化石燃料の消費量とそれによる温暖化ガスの排出量は、内燃エンジンの熱効率が火力発電所のそれに置き換わるため、実質的に「減少する」。このことは以前のブログで説明した。電気自動車への買換えが増えれば増えるほど総排出量は減る!既設発電所の夜間電力、新設火力、加えて、蓄電池価格の低減に伴って徐々に車上、充電スタンド及び太陽光発電現場に設置される蓄電池容量の増加があれば、需給の運用は更に柔軟にかつ経済的にやれるようになるはずである。

 また、太陽光発電システムが増えても、将来、この新設火力は無駄にはならない。太陽光発電システムが全電力を供給するようになっても、火力による100%のバックアップが必要なことと、しかもバックアップの為の火力発電所の待機の経済的負担は比較的軽いことは既出ブログで述べた通りである(経済性の点から、設備費の割合の高い原子力発電はこのバックアップの用途には適さない)。 

太陽光発電システムの規模が徐々に拡大する各段階では、太陽光発電システムの規模、発電原価、化石燃料輸入価格、需給規模などを勘案して太陽光と火力と、もし原子力があればそれを加えた、最適な需給計画が検討されるであろう。

上述の施策構造全体が、国民のインセンティブを上げ、利潤を生み、価格を低減させ、環境問題を緩和し、将来エネルギーの開発を促進する方向に、互いに矛盾すること無く指向していることがおわかりであろう。

(4) このような価格政策によって、太陽光発電がその伴侶を自動車用蓄電池に見つけ、それによって発電素子や蓄電池の価格低減促進に寄与し、遂に太陽光発電システムの実現に寄与する。再生エネルギー固定価格買取制度もこのストーリーの中では胡散臭いビジネスという批判を払拭して、太陽光発電システム促進のシナリオの文脈にピッタリ見事に合って来る。また、この流れの中で見ると、既に販売され始めた自動車搭載蓄電池から逆に家庭内に給電するインバータ/コンバータ・システムなどは、単なる思いつきの域を超えて、ストーリーの主役の一人になるアイデアである。民間は鋭く早い。

上述の(1)、(2)で述べた施策を、特に千葉県人の好きなカタカナ
英語を交えて「太陽自動車イニシアチブ」とでも呼ぼう。「太陽自動車イニシアチブ」の発展途上では、あらゆる場面において、系統の中の太陽光発電容量と蓄電池容量と充電電力需要量が、互いに量的にミスマッチの状態で進んで行くのだが、この施策はその混沌の過渡期の技術的矛盾を在来発電の介在で問題なく吸収して「太陽光発電システム」発展の方向にベクトルを揃える。

電気自動車が自然エネルギー革命の起爆剤になりうると言うお話である。いや、本気の提案である。


短い話の中に、多くの物事の関係を述べた。複雑に聞こえるが全ては単純で有機的につながっている。話をよく吟味していただきたい。考え違いの指摘や、代案や、その他の建設的議論があれば是非ご意見をお寄せいただきたい。
また、この「太陽自動車イニシアチブ」は政府の関与なしにはできない。その契機を作っていただける人はいないだろうか。
 と同時に、電気自動車への個人投資と通常電力より高い充電電力料の設定(それでもガソリンより安い)に付いて国民の参加と容認が必要で有る。

 

 この運動が始まれば、私個人も電気自動車に乗り換え家の屋根に太陽光発電を載せる位の奮発はしなければなるまい。頑張ろう!

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太陽光発電と再生エネルギー法と電気自動車と ニュース記事に関連したブログ

2011/08/13 16:02

 

ブログを書いていると人間はしつこくなるのか、またまた太陽光発電の話である。書いているうちに発見があり、見えなかったものが見えて来る。それによって考えも修正され、より真実に近づく。

先のブログでは、太陽光発電は、蓄電池と組み合わせなければ火力や原子力の様に自立した電源ではなく、電力系統のお荷物であること、電源としての経済性と実用性が火力・原子力の射程内に入るためには、太陽光発電装置の価格が一桁、同時に蓄電池の価格が二桁下がる程の技術革新を待たなければならないことを云った。

同時に、過去の様々の分野の技術の発達の歴史を見れば、価格が二桁下がる可能は十分にあるように思われ、従って近未来に素晴らしい電源が生まれる可能性に希望が持てることでもある。

先の考察を基にもう少し太陽光発電の諸相を見てみよう。

(1)太陽光発電装置と蓄電池が実用価格まで下がると、太陽光発電所は日照に拘わらず24時間一定の出力で連続運転するに足るだけの蓄電池容量を備えれば、ベースロードでもその他の用途でも、運用計画に合わせて自由に使うことが出来るようになる。火力や原子力並みに系統が必要とする電源容量の算定に勘定することが出来る。設備費が高く燃料費がかからない発電所であるから、どんな用途であれ、常に他の電源に優先して発電能力いっぱいに使い切る(設備利用率100%の)使い方がいい。

(2)このように自立した電源になれば初めて、太陽光発電は炭酸ガスの発生しない電源として原子力とでも火力とでも置き換える事が可能になる。蓄電量に不安がなければ、全電源を太陽光発電だけにしてもよい。

ただし、太陽光発電といえども「想定外」の事件はあるに違いない。特に一種類の電源に依存するときはますます注意深くなければならない。震度8や60メートルの津波等は、東日本大震災と原発事故を経験した今、もはやすべて想定内であろうが、それを越える想定外も想定(?)しなければならない。例えば、地球のどこかで起こるかも知れない1万年に一回の火山の巨大な爆発や比較的大きい隕石の落下等。これによって年の単位で日照が遮られような場合はどうするか。そんな時は食料にも重大な問題が起こるだろうが、とりあえず発電だけの問題に絞ると、対処法がある。100%の容量の火力発電所を造って待機用に遊ばせて置くのである。状況によっては、太陽光に置き換える前の火力を温存しておくことでよいかも知れない。燃料を使わない火力発電所の設備償却分と保守費だけなら、発電コストにして2~3円だろうから十分に下がった太陽光発電コストに上乗せしても大丈夫だろう。(蓄電池が無い太陽光は火力の保護下だが、蓄電池があっても、事情は違うが、火力と切り離せないらしい。)
どうせ火力設備を備えるのなら、高い蓄電池の量をぎりぎりに減らして、たまには火力に頼ってもよいという運用が出来る。火力・太陽光のベストミックスである。原子力は設備費が高いから待機用専用という使い方は出来ない。原子力を残すなら、太陽・火力・原子力のベストミックスを考えることになる。太陽光がベストミックスに参加できるのは蓄電池があると云うことが絶対の条件である。念のため。
その外の想定外事象もあろうが想定できないのでやめておく。

(3)太陽光発電装置と蓄電池の価格が幾ら下がっても、太陽光発電所の設備費(初期投資額)は火力や原子力に比べて何倍も何十倍も大きい。設備の寿命期間に亘っての平均発電単価が、火力などと同等ならば、燃料費のかからない太陽光発電であるから、火力の終生の燃料費に相当するものを建設時に払い込んでしまっている事に相当する(太陽への前払い?)。多分、一つの企業では投資しにくい額であろう。太陽光発電所を造るときは、太陽光発電債なるものを発行して電力需要家から資金を集め無ければならないだろう。燃料代の数十年分を先払いして、電気を使うに従って償還して貰うみたいなものだが。

(4)それでは、今の「再生エネルギー法」の下で設置される実質的に蓄電池無しで高額の太陽光発電装置は、どのような意義があるのか考えよう(実は、議案の中身を知らない。インターネットでも見つけられなかった。要は太陽光発電の電気の強制買取だと理解して話をすすめる)。
蓄電池無しの太陽光発電の出力は天候次第で、需要に合わせられる保証は全くなく、ゼロ発電の時間もあるから、何度も繰り返して言うが、電源構成は先ず太陽光無しで必要十分な状態にしなければならない。
従って、原子力発電を止めた場合でも、その量に見合う節電(省エネと最大負荷低減の両方)によって日本の電力需要を恒久的に縮小させるか、火力で100%置き換えて電源構成を修復しなければならない。節電は、経済や生活への影響が無視できないし量の限界もあるから補助的手段であって、本質的な手段は火力への置き換えである。古い火力の復活や自家発の絞り出しで足りなければ正味の新設が必要である。逆にこのようにすれば、脱原子力は完成する。火力と置き換えることが、脱原子力の「必要」でかつ十分条件である。全く論理的な話であるからこのことを先ず正しく理解して貰いたい。即ち、太陽光発電は脱原子力には「役に立てない」のである。
従って、もし再生エネルギー法が脱原発が目的だと標榜すると間違いであり、意図的なら欺瞞である!これは個人的な意見ではなく事実を言っているのである。(政治家はわかっているのだろうか?)

では、再生エネルギー法の太陽光発電は何の役に立つのか? そう、化石燃料消費と炭酸ガス排出の削減(以下、合わせて炭酸ガス削減という)である。不安定な太陽光発電が発電する出力に合わせて火力は自動的に発電量を減らして部分出力やアイドリング、或いは停止して待機するから、炭酸ガス削減が出来る。ではどこまで削減が出来るが次の問題。

もし、電力需要の30%を占めるベースロードだった原子力をすべて止めるなら、発電のための炭酸ガス発生量は以前より50%増加する(火力が全電力量の60%(原子力30、水力等が10%)とすると原子力に置き換われば90%になるから電力系統の炭酸ガス発生は150%になる)。「25%」削減どころか50%後戻りなのだから、何が何でも炭酸ガス削減はしたくなる。炭酸ガス発生量の0.1%でも取り戻す努力の象徴が、即ち、脱原子力と組み合わされる太陽光発電である(くどいようだが発電の補完ではないということ)。太陽光でどのくらいまで、原子力が負っている炭酸ガス削減量を取り返せるかを算定しよう。
東電が川崎に造っている2万KWの太陽光発電所(産経新聞から)1基で、発電量を楽観的に3000万KWH/年と見積れば、増えた炭酸ガス(日本全体で止まる原子力3000億KWH分)の 0.01% (削減目標「25%」と同じスケールでいうと0.005%)が取り戻せる。10,000基(=2億KW、日本の全電力設備容量の合計に近い数字)造れば100%取り返して現状維持と言いたいところだが、日々の最大負荷を越えて太陽光が発電するわけには行かない(蓄電池がないのだから)。負荷の低い季節も入れて年間を通じて設備費の高い太陽光発電装置をあまり遊ばせない程度の容量が導入限度である。それを、推定ではあるが日本全体で約1億KWとしよう。すると5000基まで導入でき、これが設備いっぱいに発電できたとして、原子力を止めたために増える炭酸ガス発生の50%(全火力分の15%程度)が取りも戻せる。だが、これは電力量の約6分の一を太陽光が出すことになり、太陽光発電が40円/KWH、火力が10円/KWHとすると平均発電コストは150%に高騰しよう。
このための初期投資も半端ではない。スケールメリットも考えず少し乱暴だが60万円/KWの家庭用の価格を適用すると60兆円。他に土地代と保守費。
結局、炭酸ガス削減目的にも、蓄電池無しの太陽光発電は設置出来る設備容量の壁があり原子力の半分にしか及ばない。それに対して発電コストと初期投資の負担が大きい。結論として、再生エネルギー法が炭酸ガス削減という目的を標榜してもその実質的効果は怪しくなる。投資家も、初期投資の高さと効果を考えれば多分手を引く可能性がある。

それより太陽光発電推進には別の重要な役割がある。太陽光発電素子の価格低減の技術開発を促進することである。この方が再生エネルギー法の将来に向けた本質的目的と言える。その目的のためであるとわかった上で投資家や個人家庭が設備に投資し需要家が多少の高い電気料金を払うのなら悪いことではない。この目的のためなら大量の太陽光発電装置を導入する必要はない。開発に対する政府の援助もよい。

(5)太陽光発電素子の価格が一桁の値下がりをして、蓄電池がまだ高すぎるときは、蓄電池無し太陽光発電は、前項と同じ条件であるから、原子力無しとして15%程度の発電量を出し、原子力の半分程度の炭酸ガスを減らすところまで導入できる。この場合は発電コストを押し上げない。あわよくばわずかに下げるかも知れない。しかし初期投資は一桁下でも6兆円である。依然として太陽光の単なる実証試験的な意味合いしかない。

(6)太陽光発電を電源として一人前にするのは蓄電池である。しかしこれに必要な量の蓄電池の導入は今の高い価格では出来ない。従って太陽光発電の実用化の要は、その蓄電池価格を2桁も減らす技術開発である。太陽光発電素子の技術開発よりも蓄電池の技術開発により多くの投資して貰いたい訳である。再生エネルギー法はこちらも視野に入れ力を入れるべきものである。

(7)脱炭酸ガス、脱原子力に関連して、電気自動車のことを話す。以前のブログで書いたが、電気自動車はその電気を供給する発電所も含めてガソリン消費量を約半分に節減する。自家用車が全部電気自動車になれば、10基の100万KW(実質800万KW)の火力発電所が必要となるが、そこで燃焼するガソリンエネルギーは自動車が燃すガソリンの半分で済み、炭酸ガスも自家用車が出していた量の半分になる。浮いた半分の燃料を使えば、更に10基の100万KWの火力をつくって運転できる。結局脱原子力のかなりな部分が、発電と自家用を足した燃料消費と炭酸ガス発生量を全く増やさずに達成してしまう。
そして、電気自動車用蓄電池の開発競争が、同時に発電所用蓄電池の開発に寄与するであろう。これが最大かつ重大な狙いである! 国民も企業も高い電気料金を払うより、電気自動車の新車購入に投資する方が意気が上がるであろう。しかも公益のため、環境のため、脱原発のためと言えるからますます通りやすい。
また、火力20基の代わりに、既設原子力を動かし、更に1000万KWの原子力を新設すれば、自家用車の完全脱炭酸ガスが出来るが、今の雰囲気では無理か。
将来は業務用、大型車にも電気自動車が拡げて行けるかどうかも蓄電池次第である。

更に考えると、蓄電池の欲しい太陽光発電を買ったばかりの電気自動車の蓄電池と組合せたらどうか。アイデアはこうである:
家庭用太陽光発電装置は駐車場の自動車にも接続して充電できる様にしておく。電力会社に売るより自家用車充電を優先する。逆方向も可能にしておけば、停電の緊急時に家の中の照明に使える。
起業家による太陽光発電(IPP)はガソリンスタンドならぬ電気スタンド専用に売ることにする。これなら不定期発電でも良い。消費者は天候を見て、好天なら電気スタンドに出かければいい!?。今年は天候がよく豊作だから充電代値下げなんて、電気スタンド同士の競争も激しくなったりして面白い。 
更に、システムを変えて、蓄電池は全自動車共通に取替式(載せ替え式)にして、電気スタンドは取替用蓄電池に充電しておく様にすれば給電が天候次第でも商売にも消費者にも不便はない。立派なビジネスモデルである。

更に朗報がある。太陽光発電料金とガソリンの値段の関係であるが、現在の電気自動車は9~10KM/KWH、太陽発電電気料金40~50円/KWHなら、ガソリン車の10~20KM/リッター、リッター当たり150円(例え100円まで下がっても)のガソリン代よりかなり安い。高いことが問題の太陽光発電の電気が、今すぐにでも安いと喜んで買って貰えるのだから、こんなに良いことはない! 車代が少し高くても、日本の将来のため、世界人類のエネルギーのため、安い燃費のためと来れば、電気自動車に投資する気になるではないか。

もう一つは、家庭の太陽光も電気スタンドも含めて、その様なことを実現する為には自動車機器、蓄電池、太陽光発電機器の関連部分の規格の統一が必須である。これこそ政府の得意な分野だろうから、是非お願いしたい。エネルギー
環境会議のテーマにも入れておいて欲しい。

 

電気自動車は世界のエネルギー改革につながっている!

 

話は以上である。

以上の考察から、政府のエネルギー
環境会議が取れる戦略の材料と幅もわかってきたから、会議の結論を菅さんが辞職する前に先取りして見ようか(多分、次回のブログで)。
 

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太陽光発電は電源になるか ニュース記事に関連したブログ

2011/08/05 11:08

 

燃料を使わない太陽光発電が炭酸ガス発生量の削減に寄与することは自明である。だが、その電源としての性質は、再生エネルギー法による太陽光発電ビジネスの振興に当たって、よく考えておかねばならない。以前のブログの繰り返しの部分があるが、それを分析しておこう。そして、結論を先に言えば、もしこれが止まった原発に代わり、災害後の緊急対策と復興のためというなら、間違った方法であることがわかる。

電力系統では予測されるその日の最大需要電力(ピーク負荷)に対応する電源は毎日用意して使えるようになっていなければならない。太陽の出ない日には太陽光発電はないが、やはり発電系統としては需要ピーク値には対応している。言い換えると、太陽光発電設備は動かなくても電力系統は間に合う様に造られていなければならない。従って太陽発電設備は、電力需給のバランスに関してはあってもなくてもよい重複した二重投資の設備であることがおわかりであろう。しかも、現時点では他の電源より高い発電単価の電気を出して、安い単価の電気に優先して使って貰うことになる。結局、経済的にはお荷物である。
この状態は、太陽光発電が他の自立した電源に依存した状態にある、或いはバックアップされている状態と言おうか。自立した電源は、必要なときに必要なだけの電力を期待される能力いっぱいまで出せる発電装置であり、火力と原子力である。水力と揚水発電も限られた時間計画の中でこのような電源として扱える。(揚水は実質は火力・原子力が発電能力に余裕のあるオフピークに発電したエネルギーを水の形で貯めたもの(下の池から上の池にポンプで上げた水)である)。新たに始める節電(ピークカット)は、恒常的になるなら節電前の負荷に対してこれらの電源と同格に勘定できる。

太陽光発電が日照に拘わらず、事前に約束した電力供給が約束した時間に出来るようになれば他の電源に依存せずに自立した電源として勘定でき、他の電源と置き換わることも出来る。毎日猫の目のように代わる天候任せの発電では、天気予報があっても当てに出来ない。自立した電源にするための条件は蓄電装置と適切に組みあわせることである。その条件を考えよう。それはある期間の日照時間内に、毎日決められた時間帯に計画された供給を担当するに足る電気の量を前もって発電しそれを蓄電して置けるようにすることである。
どのような設備になるか計算してみよう。正確な数値ではなく、感覚的に程度が把握できればいい。今の家庭用の太陽光発電装置のデータでは3KWの発電能力がある設備が年間で4000KWHの電気エネルギーを供給するという。365日、24時間稼働すれば26280KWH(=24x365x3)の発電能力を持つ装置が、実際は4000KWHしか発電しない。設備利用率が4000/26000=0.15、即ち6分の1弱である。従って100万KWの火力発電所と同じ能力持つ太陽光発電所は600万KWの発電出力を持つ太陽光素子を並べる事になる。そして平均一日に4時間の最大日射量の600万KWをフルパワーで発電する事に相当する。これで100万KWの発電所が24時間稼働したのと同じ電力量が作れる。設備費は1KW当たり家庭用で60万円、600万KWx60万円=3兆6千万円(土地代も保守費も無視しているが、多少のスケールメリットも無視した)。
日照は一日にきちんと4時間相当の最大日射量がある訳ではない。天気は4日前後の周期があると言われている。その周期も不順はある。いい加減な仮定ではあるが、4周期半月15日くらいを単位として平均的すれば必ず平均的な日照があるとしよう。その間に60時間x600万KW=36000万KWHの発電量があり、これを蓄積する装置があれば、発電所は計画的に系統の電力供給に利用できる。これも家庭用だが蓄電池は1KWH当たり50万円。従って180兆円。
これで一人前の100万KWの火力並の太陽光発電所ができあがる。これと同じ形で各家庭用にスケールダウンして考えても同じ事である。
ここでもう一度、えいやと大胆な仮定を入れよう。太陽発電所設備の単価がこれから20年の技術進歩で「10分の1」になり、蓄電装置は「100分の1」になるとしよう。耐用年数を20年として発電単価を計算すると、幸い燃料費はゼロなので、太陽光設備代でKWH当たり約2円、蓄電池設備代で10円、合計KWH当たり12円となる。火力と原子力がKWH当たり5~10円であるが、乱暴な仮定であるから比較しても意味はない。要は「画期的な技術進歩」があり、かつ工夫を凝らせば初めて実用域に持ってこれそうであると言うことが考察できる。即ち、止まった原子力発電所の代わりの役割が出来るようになるには技術開発の時間を要し、少し遠い将来の話である事がわかる。

従って、結論はこうなる:
太陽発電は今すぐ、火力・原子力に代わる電源では有り得ない。今は災害後の緊急対応策のときである。経済復興に電力がいるなら、すぐ火力を造れ。炭酸ガスが心配なら取り合えず原子力を止めずに運転しろ。炭酸ガスが怖いか、原子力発電の二度と起こりそうにない事故や廃棄物処理が怖いか、短期的に天秤に掛けて決断するしかない(その決断には蛮勇で無く哲学が必要だろう)。決断せずに、無効な再生エネルギー法などに時間を費やし対策を遅らせる方が、日本の国に禍根を残す。原子力も、ストレステスト(注1)等と変なことを言っているヒマに単純に規制値を見直せば同じ轍を踏まないくらいの知恵は日本人にあろう。太陽光を進めるのは遠い将来のために結構だが、それは現下の緊急対策とは関係がないことをよく理解して欲しい。

太陽光発電は今の用には使えないと言っても、これを貶めるものではない。これを緊急の電源対策に使うと言い政治のおもちゃに使うことこそ技術を貶めるものであり、国を損ない将来の夢を奪うものである。太陽光発電は燃料を必要とせず、炭酸ガスも出さない。だから蓄電装置を付けて自立した電源になれば、これこそ人類存続のためのエネルギー源になり得る。それには、特に蓄電池の価格を百分の一にもする技術革新の時間が必要なのである。時代錯誤ならぬ時間錯誤の政策に日本国民が振り回されないよう覚醒することを願う。太陽光の技術開発は災害対応とは独立である。この機会に(いや、このドサクサの緊張を利用してと言おうか)その促進をキックオフすることまでは認めよう。だが、現実を見失わないように。

(私も、3ヶ月前は太陽光になにがしかの期待を掛けていた。震災後からブログを書きながら、ようやくこの理解にまでたどり着いた。)

(注1)
ストレステストという言葉から来る感じでは、次のようなことを意味するものであろうと推察する。ある多変数の複雑な「システム」があるとする。どの変数がどの程度動けばどの様に系の状態が変わるか単純にはわからない。その場合にある変数の異常な変化(又は事故)を入力してシステム全体が不安定になったり崩壊したりしないか調べて、システムに潜在している分岐点、脆弱点を見つけることを言うことであろう。たとえな金融経済社会システムに住宅ローンの返済がxx%滞れば、それを境にリーマンショックが起こると言うことを、システムのシミュレーターが良くできていれば、事前に予見することである。このように系統の安定性を見る数学的発想は昔からある。だが、原子力発電所のような「単体」について、たとえ機器構成が複雑とはいえどこを押せばどうなるかわかっているものに、そんなことを適用するのは場違いである。個々の規制値を見直して対策を取ればそれでこの電源緊急時の脱出には十分である。言葉遊びで時間が費やされている。

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フェアな太陽光発電ビジネスの提案 ニュース記事に関連したブログ

2011/08/04 14:19

 

再生エネルギーの法律と連動した孫正義氏の太陽光発電ビジネスへの参入表明に対して、ネガティブな意見が聞かれる。ヤッカミ半分の意見なら聞くだけ不愉快だが、発電した電気の買取価格の設定に依っては胡散臭く見られる可能性はある。確実に利益の出る価格設定で、かつ、生産量の全量を自動的に引き取って貰えるビジネスモデルなら、独占事業と同じ利益構造であり、複数の供給者がいればカルテルと同構造であり、いずれにせよ独禁法の精神に反する。もしそれを法律で定めるなら、悪代官と政商の構造だから、冷ややかな発言も出るのだろう。

だが、もし、太陽光ビジネス参加が、世界の環境(とエネルギー?)問題解決に寄与したいという純粋な動機から出たものであれば、それは素直に受け取り、胡散臭くない環境を造って、その心を生かせばいい。それには買取単価の設定がポイントになる。

太陽光発電のコストは設備費と定常的にかかる運転管理費の固定費がほとんどで、発電電力量(KWH)(以下、発電量という)に依存する変動費はわずかであろう。従って、ある一定の買取単価(販売単価)を定めると、それに対応して、ある発電量以下ではコスト割れ、それ以上は利益が出る、損益分岐点となる発電量が定まる。実際の発電量(生産量)は日射量に依存する。予測される最低の年間日射量でも利益が出る価格設定(分岐点を下げる)なら、上述したようなアンフェアなビジネスモデルになるが、買取単価をある適切な高さに設定すれば、日照の少ない年には損失を被り、多い年には儲かる、ある程度のリスクがあり、経営努力を要する普通のビジネスとなる。

さて、そこで、経営者としては、同じ販売単価に対して、損益分岐点となる発電量の値を下げるための経営努力、即ち生産コストの低減を努力をすることになる。これはフェアなビジネスである。その経営努力には、例えば、年々効率が進歩する太陽光素子をいつ新型に取り替えるか、太陽の追跡装置に投資するか、表面の清掃を自動化するか等々の設備に関する選択や、国内立地の選択や、天候保険(もしどこかの保険会社がやれば)を掛けるなどを思いつく。ついでに、想像を逞しくすれば、海外の砂漠に建てて水素ガスの形で輸入するとか、産油国なら現地の石油とバーター取引するとか。

販売価格は、市場に任せるモデルを考えるとか、電気・ガスや交通の様な公益事業の価格認可制なら、それは通常のビジネスである。また、法律で固定的に定めるなら、その値がビジネス倫理を決める要となる。法律で定める販売価格が高すぎれば起業家の参入意欲を奪い新エネルギーの発展を遅らせるし、低すぎれば消費者がボラれる胡散臭いビジネスとなる。産業勃興期であるから少しは投資家に有利な設定にして、その代わり一般国民や年金機構などが投資に参加できるようにすればより公平感は増す。従って販売単価は公開された透明なプロセスで決定すべきである。特に国民(消費者)はどんな太陽光ビジネスのシステムが導入されても必ずある程度の負担は強いられることになるから、その決定に参加する権利がありそうである。企業努力と国民の負担努力の協業による環境問題との取り組みなら、それはビューティフルな再生エネルギー法ということになる。

販売単価を一つの固定値として、その意味を説明したが、固定値でなくても、ある発電量(設備容量に対する比)以下とそれ以上では価格を変えるステップ値や発電量に対する正(比例的)関数にして、低い発電量(日照量)でより不利に高い発電量(日照量)ではより有利に傾斜させることも出来る。それはビジネスモデルをより高リスク高リターン型にする。

以上が、価格設定によってフェアなビジネスを保持し、太陽光産業の促進に資するという提案である。

このようにすれは天候依存の発電ビジネスは、天候による不作の年は泣き豊作の年は笑う古い時代の素朴な農業にそっくり相似的である! 折角だから生活も日照と発電に合わせて「晴耕雨読、日没後は寝る」という型にすれば、自然エネルギーに頼って生きようとする人々の心情にはピッタリではないか!(これが冗談に聞こえた人は現代人、手を拍って賛同した人は旧人?)。

ところで、上では太陽光発電の環境問題解決への寄与は挙げたが、電力エネルギー供給問題解決への寄与とは明確に言わなかった。それは、太陽光発電装置を作って発電電力を売ると言う単純なスコープには、単に発電単価が高いという事ではなく、電力を受け取る系統側にかかる経済負担(結局は消費者の負担)が抜け落ちていて、エネルギー供給システムと考えるには未完成(無考慮)だからである。現時点でのその高負担はとても火力や原子力と対等なエネルギー供給システムの範囲内とは考えられない。唯一環境問題の為の高負担(特に原子力が抜けた場合に増加する炭酸ガスと化石燃料消費へのささやかな抵抗)と考えることよって、太陽光発電の意味とその負担を消費者は納得できる。将来の非常な技術の発達によって、そのような付加的な経済負担が無くなったときに太陽光発電は初めて原子力や火力と同列またはそれに代わる電力エネルギー供給源(電源)という言うことができるようになる。再生エネルギー法はそこまで踏み込んで考えているのだろうか。その未完成部分とは既に以前のブログで何度も書いたが、追って次回のブログでもう一度説明しよう。

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エネルギー環境会議の資料について ニュース記事に関連したブログ

2011/07/31 09:30

 

7月29日の政府のエネルギー環境会議の資料をインターネットで見た。まだ、概念の粗案だけだから、批判はしない。意見なり要望として思いつくことを言おう。:

1.原子力依存低減が大前提となっているが、菅首相の意見だから仕方がないのだろう。ただ、所々に、その精神と異なるステートメントが入っている。大前提に違和感を持って居る冷静な人が資料作成者の中にいるらしい。(勿論首相へのゴマすりも気兼ねも入っているが。)。
先ず、当面の電源不足に対しては、使える原子力は使うと断言している。よろしい。長期的には、原子力依存低減について国民的議論をすることをいっているが、原子力についてではなくて、依存低減が初めからついているところが、この会議の特徴である。後の四字は消しても話は通じる様に書いておいて貰えまいか(多分そうなっている)。国家の大方針を考えるのに好き嫌いから出発すると道を誤る。 

2.短期計画(3年)では、原子力が止まって1600万KWの電源が不足するといっている。100万KW級火力発電所が16機分である。これは使える原子力を使うというステートメントとの整合性が不明瞭。使えるとはどの範囲を言うのか、まず既存の原子力発電の取り扱いを、時間と量で決定しないと短期戦略は立たない。結局、1600万KW削減は節電(ピークカット)と自家発でしのぐといっている。節電による景気へのインパクと炭酸ガス排出量の増加を同時に示して考えることが必要だ。また、火力の建設(その投資の調達も含めて)も、景気を考えると一つのオプションだろう。節電も3年も続くのなら、一律節電、操業時間シフトだけでなく、将来にもつながる別の経済構造とライフスタイルへのシフトも同時に考え出さなければ。  

3.長期的には、経済性、セキュリティ(資源も含めて供給の信頼性)、環境(炭酸ガス排出量削減またはゼロ)及び安全性を、電源戦略(ベストミックス)の判断の判定項目とすると言っている(と解釈できる)。これはそれで良い。(安全性は今回新しく付け加えられたのであるがこれまで安全性が無視されてきた訳でもなく妙な感じするが、原子力外しの口実に使うのかと勘ぐりたくなるが)。この判断項目を考えると、原子力も電源候補として加えるべきだろう。立てた戦略の評価結果で、原子力ゼロがベストミックスだと結論が出てそれで外すのが筋だろう。原子力がこの判定項目では単独では一番高い点を取るかも知れない。これを初めから外すと、答えを見つけるのに苦戦するであろう。安定供給と炭酸ガス削減とそこそこの経済性を同時に単独で備えている電源は他にない。原子力の経済性は徹底的に洗うと言っているが、重要なのは他の電源との比較問題であるから、グリーン・エネルギーのコストも、火力も化石燃料の化学処理や調達等の将来を含めて、徹底的に洗って比較すべきである。

4.その意味でも、コスト等試算検討委員会が出来たのは歓迎できる(ようやく遊びが実務になる感じである)。委員会に要請したいのは、年度単位で、各電源、蓄電装置の導入可能量(実働可能)と価格、及び炭酸ガス排出量の増減の予測値を出して、電源戦略策定の基礎データとして提供することである。予測値だから現時点でのベストと思われる予測値でよい。そのデータは計画に必須である。

5.太陽光発電など天候で左右されるものは、蓄電装置との組合せで、電源としての性格も、導入の目的も、導入すべき量も、価格も、全く変わる。従って、蓄電装置のデータが同時に必要である。バイオや地熱は又これとは違う種類である。グリーンエネルギーなどと言って一緒くたに議論してはいけない。

6.太陽光発電や蓄電池など将来の技術的発達を勘定に入れて初めて使えるものを考える以上、原子力の特に安全に係わる技術開発も考慮に入れるべきである。

とりあえず思いつくままに。

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火力発電建設を急げ! ニュース記事に関連したブログ

2011/07/26 14:56

 

「太陽光発電は原子力発電の代わりではない」というブログをその1、2に分けて書いたが、書き方が整理されていなくて、筋がわかりにくいかも知れないので、要点を再び記しておく。

経済活動や生活を含む社会活動が安定しているとき、ある一定の傾向の安定した電力の需要(負荷)が季節、日時の時々刻々にあり、電力供給網はこれに応えて必要な供給(出力)を行う。この状態を早急に震災前、またはあるべき状態に、取り戻すことを日本経済は必要としおり、政府はこれを実施することを要求されている。

太陽光発電などは、日々、時々刻々、ゼロ出力も含めてどれだけの出力があるかわからないので、最も電気が必要な時刻に必ず丁度使えるというものではない。従って、電力系統はその最大需要電力まで確実に出せる能力を、安定した電源だけで保つように構築し運転できるようにしておかねばならない。この意味で安定した電源とは火力と原子力である(負荷の最大時刻には必ず運転してくれると約束した自家発電も理屈では火力に勘定して良かろう)。

従って、既に半永久的に止まる原子力がある以上、その分に見合う火力発電を早急に補わなければ、日本の社会は復帰できないことになる。

太陽光発電は、このような観点の電力供給の点からは問題の圏外あるので、どのようなテンポで導入しようが自由である。原子力が止まったので、グリーンエネルギー政策の促進をというのは、この観点からは全くの「とんちんかん」である。現下のこの問題を一切解決しない。太陽光発電が寄与するのは、原子力が止まるために火力によって増える化石燃料消費と炭酸ガス排出量を少しでも取り戻そうという点においてだけ、役に立ち、その点において重要である。太陽光発電がその日、その時、出た分だけ火力発電は出力を減らすことで、系統の運転を安定に保つ。言い換えると、太陽光発電の最大出力規模に相当する火力(又は原子力)設備が常に重複して存在し稼働していてバックアップをしていることになる。

結論として、日本経済の衰退を救うために、政府は、原子力をどれだけ止めるのか量と時期を明確にして、早急にそれを補う火力発電の建設促進をしなければならない。拙速で良いからこれだけは早急に決めなければならない。太陽光で遊んでるヒマはないのである。野党を含めて日本中の政治家が頓珍漢なことを考えていないことを願う。

この火力は、将来太陽光発電が増えても、無駄にならない。太陽光はその分だけ安定電源のバックアップを必要とするからである。火力は原子力発電が復帰すれば、ある部分で重複するから、原子力発電所の処分案と火力の建設案は同時である。但し火力と原子力の重複により生ずる経済負担は、太陽光発電導入
(目的は別だが)による経済負担ほど大きくはないはずである。だから拙速な計画で良い。原子力を動かすのか動かさないのか結論を急げ!そして火力建設を急げ!

先ずこの結論が出れば、その他の必要なエネルギー政策は芋ずる的に考え出すことができる。

 

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太陽光発電は原子力発電の代わりではない その1 ニュース記事に関連したブログ

2011/07/24 22:07

 

太陽光発電は、発電量の問題ではなく、その性質上、止まった原子力発電所の代替にはなり得ないことを、政治家やジャーナリストはご存じだろうか。原子力が止まったから太陽光発電所をというのは全くの勘違いであり、国民をミスリードすることになる。原子力発電所の代替が出来るのは唯一火力発電所(及び自家発)だけである。以下、そのことを考えよう。(6/22のブログを書いた段階では私も勘違いしていた)

 

太陽光発電や風力発電、波浪発電のように時間的に発電出力が不安定な電源(ここでは、ひとまとめにして「不安定電源」と呼んだり、代表として「太陽光発電」と呼んだりする)は、雨天や無風の時には一切当てに出来ないから、初めから「不安定電源」は無いものと考えて、最大の需要電力に対応する発電能力を火力と原子力発電(まとめて「安定電源」と呼ぼう)だけで確保しておかねばならない。(自家発電も性質上火力発電と考えて良い。水力発電はある種の不安定電源であり、制約付きでしかここでいう安定電源に勘定できない。細かい議論はさて置こう)。

電気に全く疎い人のために付け加えておくと、電力系統には実質的な電気貯蔵装置がないから、瞬時瞬時の発電電力(出力)はその時の電力消費値(負荷)に釣り合わなければならない。これが破綻すると突発的な停電となる。従って電力系統の設備としては考え得る限りの最大需要電力値(最大負荷)に対応できるものを前もって建設しておかなければならない。そして、日々の最大電力に対応できる分はその日に稼働状態になっていなければならない。不安定電源は天候任せだから、それがあっても無くても、「安定電源」だけで系統は最大需要(最大負荷)に見合う供給(出力)能力があるように作っておき、その上におまけで不安定電源を加えると考えればよい。そうしなければ日々の天候変化で電気が足りる足りないと大騒ぎをしなければならない。

 

電力会社(又は電力供給の責任がある者)は、従って、安定電源設備を、幾ら太陽光発電などが導入されても減らすことができないことになる。この状態で、不安定電源から電力が供給されるとそれを優先的に使うだろうから、その分だけ安定電源は発電しないでよくなり設備は遊んでいることになる。これを安定電源設備の「遊休」と呼ぼう。この「遊休」は発電装置を止めて待機することも、発電能力の一部分だけで運転していることも含む。(電源設備は、もともと電力需要が最大でないときはいつも遊休する設備がある。需要の変動に対応する遊休である。更に順に定期点検で停止する設備もあり、また想定外の状況や想定される事故に備えて予備の設備容量も加わるが、ここでの議論ではないので外しておく。ここで議論する「遊休」はもっぱらこの不安定電源からの電力供給による安定電源の遊休である。)

 

不安定電源は、従って安定電源の発電量(エネルギー量)の補充は出来るが、発電設備容量(出力)の補充には勘定できない。原子力発電が止まった分を太陽光発電に置き換えると言うときは、発電量の議論をしているのであって、設備容量として原子力発電所に置き換わることはできない。設備容量として原子力発電所に置き換わるものは同じ安定電源の火力発電しか無く、もし最大電力需要(出力)が変わらないならば、原子力発電所が止まる分だけ、火力発電所を早急に作らなければならない。火力発電所を作らずにすますには、現在行っているような節電を今後も続けなければならない。この「節電」とは一日のエネルギー使用量の削減が目標ではなく、最大の需要電力値を減らして(ピークカット)必要な稼働中の発電設備を減らす、言うなれば「節電源」設備である。但し、不安定電源が稼働する好天か強風の日に限ってはこの節電源の努力をその分緩和することが出来る。ややこしいようだが単純な話である。太陽光発電の発電設備が原子力発電所に置き換われれば節電(節電源)が無くなるようなことを政治家もメディアもいうが全く以て間違いであることがわかろう。

不安定電源は、安定電源の遊休を増やす分、代わりに、化石燃料の消費を減らし、従って炭酸ガス排出量の削減に寄与する。これが唯一の利点であり機能である。

また、再生可能エネルギー源による発電は必ずしも不安定電源とは限らない。薪を炊く火力発電所で毎年一定の薪の供給があればこれは安定電源である。この辺はきちんと整理して考えて貰いたい。

 

脇道にそれるが、ここまで書いてハタと気がついた事がある。

その一つは、太陽光発電等で得られるエネルギー価格には安定発電設備の遊休コスト(装置の減価償却費の一部など)も含めて考えておかなければならないということだ。もう一つは、電力会社が太陽光発電をうれしく思わないとどこかの週刊誌に書いてあったがその理由である。系統が複雑になる為の費用や高い買取り費用は既にわかっていることだが、加えて安定電源の設備投資は全く減らせ無いことと、その設備に遊休が出る分だけ逆に、その設備から得られたであろう電力量を、その3,4倍もの価格で強制的に太陽光発電から買い取らなければならないことである。設備稼働率が命の装置業の経営者なら、絶対にやりたくない経営法である(買い取らせる側の経営者はリスク無しで生産すればするほど売れるから是非やりたいものである)。こう考えてみると、太陽光発電の推進には政策的に解決すべき深い問題を含んでいる。

 

本論に戻ろう。今後太陽光を主とする自然エネルギー施策を強化しても安定電源設備の規模は減らせないと言うことは、もし在来通りの電気の使い方を続けるなら、原子力発電所を止めた分だけ火力発電所の建設を急がなくてはならない。その建設のテンポは原子力発電の停止と同時(現実的には節電(節電源)で我慢している間に可及的速やかに)でなければならない。このことは、不安定電源の導入のテンポと全く独立した話であることは、上の説明からわかるであろう。その後で、不安定電源は独自のテンポで導入していけばよいのである。安定電源の確保は、不安定電源の立ち上がりを待つ事は出来ないし、その発電が増えてきても、安定電源設備は無駄にはならないどころか(遊休は増えるが)、必需品である。

 

その後、不安定電源からの発電量が増える分だけ、火力発電所の遊休は増えるが、化石燃料の消費が減り炭酸ガス排出量が減る。結局、原子力発電所の停止で消える化石燃料消費と炭酸ガス排出の削減量を、太陽光発電が遅ればせながら少しずつ取り戻す努力をするという全体図が見えてくる。

 

では、この原子力発電設備欠損を埋める追加火力発電設備の容量を本質的に減らす方策はないだろうか。考えられることは四つある。

 

その一は、節電(節電源)を行うこと。即ち、いま続けている節電を更に上乗せしてかつ恒常的にすれば、需給のピークが減る分だけ減らせる。節電は不自由であるが、一つの希望は、それがやり方に依っては必ずしも生活の質を貧しくすることではないかも知れないことである。欲望に任せず賢くライフスタイルを変えることである。石原知事が示唆したように、不要不急の電力消費を選択的に減らすことも出来る。消費機器や発電装置の効率改善も援用する。もし日本経済に悪影響なく節電が恒常化できればそれはすごいことである。誰がその方策を考え出し指導するかが課題である。

 

その第2案は、不安定電源の規模に併せてエネルギーの貯蔵装置(蓄電装置、揚水発電所)を設置して、一年を通して天候と関係なく、あたかも安定発電装置があるように必要なときに一定の発電出力が出せる様にすることである。その安定出力規模だけ、バックアップの火力設備が不要になる。ただし、その安定出力規模は太陽光発電装置の設備規模の例えば1割から2割などという小さい数字になるであろうし、貯蔵装置の費用も加わり、設備投資は、減らせる火力発電設備投資の何十倍にもなるであろう。

 

第3案は、第2案のエネルギー貯蔵装置代えて、不安定電源が発電した電気で水素ガスを発生させ(電気分解)貯蔵する。この水素を燃料電池発電所に環すれば、燃料電池の発電効率と流通コストのマイナスはあるが、環した分は安定電源として寄与する。火力発電所には発電効率がわるいので戻してはいけない。燃料電池発電に戻らない分は燃料として使われるだろうから、その分だけ国全体で石油消費と炭酸ガス発生の削減に寄与する。(ここでまた気がついた。火力発電所を燃料電池発電所で置き換えるのは実質的省エネであって大いによろしい。)

 

その第4案は「晴耕雨読」方式である。

 

 

「太陽光発電は原子力発電の代わりではない その2」に続く

 

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太陽光発電は原子力発電の代わりではない その2 ニュース記事に関連したブログ

2011/07/24 22:03

 

「太陽光発電は原子力発電の代わりではない その1」からの続き

 

その第4案は「晴耕雨読」方式である。不安定電源を含めて電力系統の電力需要の設計をする。即ち雨が降って太陽光発電が減る日は電力の使用量を減らす。家庭では電気調理器の使用を控え電気洗濯機は使わず(雨だから丁度良いか)、工場は休みか装置の部分操業をやる。読書は蛍雪方式である(昼間の電力ピーク時にはいないだろうが)。日々太陽や風と共に生活する自然派を実践するのである。(これは良い!これを提案するためにこの長々しい文を書いてきたのかも)。となると、それは新しい文化であり、国の経済も含めて国家的大施策問題である。馬鹿な話と一蹴してはいけない。原子力を太陽光に置き換えると言っている人は、既におわかりのように、論理的にこの帰結を言っているのである。本人たちが自覚しているかどうかは知らないが。

 

自然エネルギー発電が進んでいるドイツスペインはどうしているのだろうか。理屈から言えば、自国で火力発電設備によるバックアップを最大電力まで準備しているか、さもなければ、その分輸入を当てにしているはずである。言うなれば隣国がある種の設備投資をしていることになる(隣国と夜昼が逆転していると都合がいいのだが!)。 また輸入品となれば、安定性に不安があって大停電の危惧もあろうから(嘗てヨーロッパで大停電があった)、自家発電装置の設置が盛んなはずである。装置規模を全部合わせると結果としてバックアップ用火力並か大停電による緊急危機だけはしのげる規模まで大きいのかも知れない。自家発が入れば民間企業は設備を遊ばしてはいられないから、石油の消費量は増えて、太陽光発電の省炭酸ガスのゲインをオフセットしている可能性もある。(これらは理屈上の推測であるが多分当たっているだろう。興味のある人は調べて見たらどうか。)

 

もう一度要約しよう。原子力を止めればその分火力発電所が必要。太陽光発電(不安定発電)はその代替にはならない(例えば、真冬の氷雨の日にエアコン暖房がフル稼働し、また工場もフル稼働している、折しも冬季五輪で日本選手が優勝しそうでTVが加わり電力需要がピークになっている時間を想像すれば、その意味がわかるであろう)。その火力発電所を減らすには、電気の使用量を、そのピーク値も含めて減らすしかない。その減らし方は毎日節電か、不安定発電出力に合わせて需要(社会の活動)を変動させる晴耕雨読方式である。不安定発電の発電量は石油消費と炭酸ガス排出量の削減に直接寄与する。

ここで改めて気がつくことは、原子力は火力並に安定電源で、かつ同時に、太陽光発電と同じく石油消費と炭酸ガス削減に寄与する能力があることである。原子力固有の問題点が解決出来ればの話だが、今は誰も耳を貸すまい。

  

上記の議論を理解した人は、原子力発電所を太陽光発電所で置き換えようというような荒唐無稽なことは今後言わないこと。原子力発電所停止で失われる省化石燃料、省炭酸ガス排出を太陽光発電で少しでも取り戻そうと言えば正しいメッセージである。様々なエネルギー生産・消費論が議論されるが、本質を見間違えないようにしようではないか。

 

ついでながら「揚水発電」の意味を説明しておく。揚水発電所は単に電気エネルギーの貯蔵装置である。電気エネルギーの授受に関する限り、完全に蓄電池と同じであって、それ 以上でもそれ以下でもない。最近の原子力発電糾弾の本で原子力発電には揚水発電が必要で、発電原価にその費用を入れなければならないと言っているが、全くの間違いである。原子力発電に揚水発電をつけるかどうかは、原子力の余った発電量を揚水発電設備まで作って貯めて使った方がその分を火力発電で供給するより安上がりかどうかで決める経済問題である。むしろ揚水発電は太陽光等の不安定発電を火力並に安定させるには必需品である。

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